On Lisp翻訳の回顧
計算機関係の某教科書を勉強がてら日本語に翻訳しており,できれば出版まで持って行きたい... という方から私の体験談を求めるメールをいただいたので,その方への返答の抜粋をここに転記してみる.
訳は全て私です.
残念ながら機械翻訳は全く信頼できません.
(だからといって私の訳が信頼できるとは限りませんが...)
最初は原著者Graham氏のwebサイトから入手したPDFファイルから
文章を章や段落単位で.texファイルにコピペし,
それを一文ずつ日本語に置き換えてゆく形で進めました.
もちろん,よく分からないところは適当に飛ばしたりしてましたが.
始めたのは私が高校3年だった2002年冬だと思います.ちなみに殆どの作業は,当時 唯一のPCに入れてたLinux上のgVimで行いました.
(私はこれより前にVimのヘルプ翻訳をお手伝いしてたこともあるVim派です)
最初はWindows環境で作業してたんですが,大学に入ってから思い切って
Windowsを消してLinuxだけにしてしまったので...
漢字変換はCannaでしたが,これはあまりお勧めしません.最初の7章まで終わった後,2chのLisp/Schemeスレに公表してみました.
(大学1年の2003年7月)
そこで勝手な翻訳版公開は原著が公開されてるにしてもまずいんじゃない,と言われて
原著者Graham氏に許可を願うメールを送りました.
英文メールは初めてだったので緊張しました.
数日後,あっさり "It's fine." とか言われて許可されたので続けました.
章を訳し終わるごとに公開版に反映させ,2chで告知し,それを最終章まで続けました.
大学2年の2004年11月まで,つまり丸2年かかりました.
この辺のことを軽くしゃべったときの資料を一応どうぞ:なお途中から,(著作権的に怪しいんですが)
原著をTexinfoにして公開している第三者のサイトを2chで教えていただき,
コピペが楽になりました.
(Acrobat Readerのコピペは特殊な文字のあたりで文字化けが起きることがたびたび.)
と言う訳で本気で翻訳するなら原著者からTeXソースを貰うのがよいと思います.
紙の本と画面上の訳文を見比べて作業するのは辛いと思いますよ.翻訳が一応 最後のappendixまで終わってしばらく経つと
口コミで評判が広がったようで,3年に上がる直前の2005年3月,
Common Lisp処理系のベンダである米Franzの日本向け営業の方(日本人)から
一緒に出版社を回って出版に向けて活動しないかとお誘いのメールが届きました.
(オフレコにつき削除)偶然にも,それとほぼ同時に,(オフレコにつき削除)社編集部の方からも
(オフレコにつき削除)社で出さないかというお誘いのメールが届きました.
(オフレコにつき削除)それはともかくFranzの方と元々狙っていたのはオーム社と
(オフレコにつき削除)だったので
それら(オフレコにつき削除)社を回りましたが,(オフレコにつき削除)からは断られ,
(オフレコにつき削除)から選ぶことになりました.
そこで私の好みでオーム社を選びました.
技術書の出版社としてかねてより個人的に信頼していたせいもありますが,
編集者の方々自身もプログラミングの経験があるなど
訪ねて話してみて初めて分かったことも理由に含まれます.その後は.texファイルを章ごとに分けた上でSubversionに登録し
(オーム社にもSubversionサーバはあるんでしょうけど,
私が所属しているサークルUTMCのサーバを使いました)
この過程で,編集部の方に原文をTeXのコメントの形で
.texファイルに埋め込んでいただきました.
(編集部の方の書いたSchemeスクリプトで!)
こうすると作業性が上がるので,原文が手に入るそうすべきです.関係者のやりとりは全てメールで行いました.
査読者の方々(後述)からのコメントは,
最初は影舞 BTSを立てて私が1件ずつ登録していたのですが,
プログラムのバグと違って何度も討論するほどではない細かい点が大量に発生したため,
登録の手間の方が一元管理の手間を上回り,途中で放棄しました.そこから実際に出版されたのは私がM1になった春だったのですが,
3人の査読者の方々につけていただいたコメントが膨大だったためと,
後半は私が卒研で忙殺されていたためと,何より怠惰だったためです.
この辺は他山の石としてください.
お恥ずかしい話ですが卒研の作業&実験や卒論書き,卒研発表が終わった後も,
卒業単位不足(0.5単位!)をごまかしてもらう固体物理の追レポートの締め切りと,
On Lispの最終締め切りが重なり,泣きながら作業してました.
比喩ではなく泣きながら,です.
(個人情報につき削除)は研究室&学校の方でどの程度 拘束があるカルチャーなのか存じ上げませんが
学業との両立は大きなポイントです.査読者は萩谷昌己先生,平岡和幸さん,川合史朗(shiro)さんでした.
萩谷先生からは印刷したものに直接手書きで赤字を入れていただき,
それをオーム社の方でスキャナにかけていただいた画像をSVNに入れ,
手元ではそれを見ていました.
平岡さんからは.texへのdiffをメールでいただきました.
平岡さんからのコメントはとてもたくさんあったので,
結局 最後まで取り込みきれなかった点も残っています.
shiroさんは平岡さんからのコメントのうち,
ちょっと突っ込んだ話に対し詳しいコメントをいただく感じでした.
皆さんそれぞれに異なる背景の方々からコメントをいただけたのは
非常に有益だったと思っています.そんな訳でWeb公開している版と出版された版はかなり異なっています.
と言うかweb版は「草稿」でしかないですね.
おかしな訳が大量にあります.
それらを査読者の方々からのコメントを元につぶしたのと,
私も訳を始めてから2,3年経って成長したので,訳し直した箇所もあります.
ただし本当は前半の未熟な訳を全部訳し直したかったのですが,時間切れでした.
編集部でメインの担当となっていただいた方のブログ:(オフレコにつき削除)
The Internetに公開してはまずいことは書いてないつもりだが... 公開してはまずいことを「オフレコ部分」で私がメールに書いてしまったという事実は公開されてしまうけど,まぁいいですよね?