講義は知識伝達手段として適しているのか

日常生活において会話は情報伝達に一番適した手段だけど,自然科学の知識の伝達手段としてその延長線上にあると言える講義という形態は,必ずしも最適とは言えないと私は思う.にも関わらず講義がかくも一般的なのは,「日常会話からの延長線上にある」ことだけではないのか? まぁ「慣例」「伝統」という要素が現在ではかなり強いというのはあろうけど.
教官の側に「講義する」ことへの負担が必要なくなれば,もっとレジュメが充実するのではないのか.国際会議のポスター発表のポスターのように「充実」したレジュメを配る教官はどこでも少ないと思う.「短期間で知識を体系だった形で伝え,相手が応用できるようにする」という点では,専門を異にする研究者への発表も学部生への講義も同様だろう.学部生への教育がいかに軽視されているか,いかに「前例踏襲」になっているかということがよく分かる.すでに一般的で,自分が使いこなしてすらいる有効な方法論をどうしてもっと活用しないのか.
TeX打ちのブ厚い「講義ノート」を毎週16ページずつ配れ,と言っているのではない.それこそ成書が山とある.