TOEは一番偉いのか?

Weinberg-Salamの電弱統一理論があり,次に(超対称性)大統一理論で強い力が統合され,最後に超ひも理論か何かの「統一理論」もしくは「万物理論 (TOE: Theory of Everything)」で重力が統合されると言う.ならばその統一理論さえ学べば全ての物理を理解したことになるのか? ところがそうではない.
超ミクロの世界に目をやるとマクロな世界の法則の破綻が明らかになり,マクロ法則と矛盾しない新しい法則が必要になる.ミクロ法則は当然マクロ法則を特殊形として含まなければならない.言い替えれば近似と式変形によってマクロ法則が(少なくともマクロ法則と矛盾しない結果が)導出できなければならない.
しかしそれを(プレス・リリースに流す文学的表現ならともかく)「これまでの理論を含む」と表現するのは少々問題がある.
近似や式変形でマクロ法則を「導出」する際,マクロ法則を念頭に置かなければとてもやってられない.単にパラメタを0と置くとかそれだけで済む場合は(よほど初等的な場合でもなければ)ない.近似や式変形も理論の一端を担っており,(例えば)「万物理論の方程式」+「量子力学を導くための近似と変形」=「量子力学の方程式」であって,単純な包含関係ではないのだ.
よく言われる話は熱力学と(量子)統計力学との関係だ.熱力学はマクロな理論であり,それ自身は矛盾なく閉じた,完成された理論体系である.しかし統計力学を知っていれば,熱力学が「公理」「定義」「実験事実」「基本法則」として基礎に据えるあれこれが,恣意的に選ばれたものではなくミクロの世界の物理を反映したものであることが分かる.しかし実際に両者の体系は単なる包含関係ではなく,ギャップがある.Ensemble等,量子論的視点から系を見る方法だけでは,熱機関の性能や化学反応の進行について有用な予言をすることができない.結局「エルゴード仮説に従い,Avogadro数個の粒子から成る系全体について平均を取ったものこそが○○と考えられるから」等のフレーズを持ち出して「熱力学」を始めることになってしまう.
また,各理論は「強さ」を元に単純に一直線に並べることもできない.枝分かれもあれば,出自は異なる2つの分野が新しい観点から統一されたという事例も多い.順序をつけるんしても線形順序ではないってこった.
しかし素論な方々(ゐってん先生とか)が日夜粉骨砕身なさっている分野が,これまで物理の進んで来た「方向」に一番近いという見方は無視できない.なぜあれらの理論は単なる一ブランチを超えた価値を持つと見なされるのか?
私は「『リンクの数』が多いから」という表現を提唱したい.分野Aの知見は近似Pにより分野Bの諸法則を,近似Qにより分野Cの諸法則を導け,分野Dは近似Rにより分野Bを導けるが,どうやっても分野Cとは縁がないとする.このとき下のような有向グラフが描ける.

  P  R
 A → B ← D
Q↓
 C

Outgoingな辺の数を以てその分野の... えと何て言えばいいんだろ... 「外への貢献」を評価する.「量子力学はNewton力学や熱力学そのものを含みはしないが,どちらについても(熱力学については統計力学を介して)基礎を支えている」という見方ならすっきりしているし厳密でもある.これでどうよ.
これは「各論」に対する私の愛の表明である.小さな事実,小さな法則,etc. etc. それら自身は小さくともそれなりの輝きを持っている,と言いたいのだ.

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... という話を「あ゛ーMaxwell方程式だけ知ってても電磁気の問題解けない... 積分もうやだー」という低レベルな感想から導き出せた私は,マスコミ就職が不可能ではないと自信を付けた.