論文のオープンアクセスについて

オープンアクセスの定義は諸説あるが、ここでは「学術雑誌論文への無料で、制約のないオンラインでの利用を認める」としたい。必要な理由は、著者及びその著作に、新たな注目、読者、インパクトを与えることである。オープンアクセスを実施する根拠は、あえて「著者・査読者は経済的な対価なしに提供する」点にあるとまとめておく。

「利用制限の撤廃は、研究・教育の促進、一般社会への普及に効果がある」というのが、オープンアクセスを推進している人たちの基本的考えである。

今、オープンアクセスが注目されている理由は、電子メディアによる学術情報流通が始まった1990年代以降の散発的な様々な試みが、オープンアクセスというシンボリックな言葉にまとまったことにある。
また、研究助成機関、大学、政府といった新たなステークホルダーが直接的に学術情報流通について関与を始めたり、出版社等の既存の勢力からの強い反発があったりしたことで、議論が沸騰している。
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オープンアクセスとは「変革の理念」であり、「運動」であって、実証的な現象としてあるのではない。現在の学術情報流通に問題がある、との立場から出発しているので、現在の学術情報流通の一体何がどう問題なのかというところからオープンアクセスについて考えていかないと、いろいろな意味で見誤る可能性がある。学術情報流通において何が問題であるのかということを考えるにあたっては、科学コミュニケーション、学術情報流通とは何であるかを確認する必要がある。
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オープンアクセスがもたらすものはまだ全く見えていない。オープンアクセスを推進している人は、誰も学術雑誌の存在を否定していない。現在の流通を問題視している。今までの流通以外の選択肢の確保を完全に否定してもよいものか。知の共有、公共性という議論において、政府助成研究の成果の公開について、全面的に反論することは困難であろう。オープンアクセスをしないことは簡単であるが、今までと同じ購読料モデルを継続すると決定するだけでは済まされない。欧米におけるオープンアクセス、特にセルフアーカイビングや著作権著者保持の流れに対して、最終的にどのような戦略、ポジションをとるのかが問題である。

文科省の審議会でもやっぱりこういうことは気にしてるんだな.そりゃそうだよなぁ.