情報伝達の理想を目指して

こないだのトークもそうだし,人と会話をした後に大抵思うことなのだが,同じだけの時間を使って最大限に伝え得る情報のいったい何分の一を私は実際に伝えることができただろうか,と.自明で周知の基礎に時間をかけて相手の集中力を浪費し,瑣末な細部にこだわってさらに退屈を助長し,そして突然余りに専門的な話に飛躍して相手を置いてけぼりにする(自分がそもそも十分に理解しておらず,なおさら相手に伝わらなかったり)... 私はそんなんばかりだ.
自分の頭がもっとよく回転してくれれば,または鈍い頭でも体系的にきちんと準備を練っておけば,私と会話した人にもっと充実した時間を過ごさせてあげられたかもしれない.相手の時間を消費し,もちろん自分の時間も消費して,自分は一体何をしていたのか.そういうことを考えていつも鬱々とした気分になる.
優れた人というのは,確かにこんなんじゃないのだよな... やはり自分の頭で考えて判断を下しているか,これが積もり積もった差になっているのかな.自分の頭で考えることを怠けずに生きるというのは,少なくとも私にはとても難しく思える.情けないが.
だから私は自分に対する不安の裏返しから書籍に頼りがちだ.書籍が相手なら,(書籍化されている分野である限り)内容も水準も自由に選択が効くので,前述のような問題に行き当たらず,歯がゆい自分を思い出すこともない.書籍そのものは確かに有効なものだとは思うが,この現状ではあまり健康的な接し方とは言えない.これをどうにかしたい.自分を変える,ということに再び直面せざるを得ないのだが...